サブスクで中東(主にトルコ)のポピュラー音楽を聴くブログ

サブスクで聴けるようになった膨大な各国音源。そして機械翻訳で容易に知ることができるようになったアーティストの背景。個人的にはまっている中東系(トルコ中心)を中心に書き連ねます。ただしトルコ語、アラビア語、ヘブライ語など全くわからないので、誤解は多々あると思いますがご容赦を。

1 Mayıs/血のメーデー

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銃で乱射され折り重なるメーデー参加者

 70年代ロックミュージックと左翼との紐帯は、大陸ヨーロッパのいくつかの国では極めて強かった。とりわけイタリア(Area、Banco del Mutuo Soccoroso、Osanna・・・)北欧(スウェーデンではいわゆるProggと言われるバンドプログレとは重なっているが同一ではない、のほぼすべてが左翼だった。他3国も近い傾向)が代表的であろう。

 ヨーロッパと中東の結節点トルコも、70年代に左翼・労働運動が非常に高揚したこと、学生がロックの主要な支持者であったこと等により、アナドル・ロックと左翼運動の結びつきが強くみられた(注:Barış Manço、Ersenなど、距離をおいているアーティストもいた)

 Cem Karacaのこのシングルはトルコにおける左翼ロックの象徴である。

この曲は1977年のトルコにおけるメーデーのテーマソングとして作曲されCemによって歌われ、そして5月1日、トルコの最大都市イスタンブールでは50万人もの労働組合員、学生、活動家などのデモで、メイン会場のタクスィム広場が埋め尽くされた。

TRT World - World in Focus: Taksim Square Massacre, 2015, May 1 - YouTube

その時、広場を見下ろす位置に存在したホテルや水道会社の屋上から何人もの男が埋め尽くされた広場に向けて銃を乱射したのだ。銃で打たれたデモ参加者、更にパニックで将棋倒しとなった結果、34人〜42人が死亡、120人〜220人が怪我したとされる。更にこれをきっかけとした混乱により、500人以上のデモ参加者が逮捕され、数ヶ月に渡って拘束された。そして現在に至るまで発砲した人間は特定されず逮捕もされず、真相は公表されていない。

 この頃、左翼のデモや社会運動を標的にした極右集団による攻撃は相次いでおり、1980年の軍事クーデターまでに左翼が1000人〜2000人程度殺害されたという(逆に極左による右翼攻撃もあった。またこれとは別に要人を狙ったテロが60年代末から極左によって再三起こっている。しかしこれらは一般的なデモの参加者に向けられたものではない)また当時の連立与党の中にはこれら極右集団と密接な関わりを持つ者がいたことが明らかになっている。

 

 ポピュラー音楽と政治的直接行動との結びつきは、日本でも山下洋輔が早稲田のバリストの中で演奏したり、三里塚の幻野祭とか存在していた訳だが、異国のトルコという地においては、音楽と政治をリンクさせようとするものは、より直接的に自らに向けられる血なまぐさい暴力や命の危険と隣合わせであったことを知る必要がある。実際、この後にトルコ南東部のウルファで行われたライブの際、ギタリストとドラマーが右翼に襲撃される事件が起き、そのためにDervişanは一旦解散することになる。