サブスクで中東(主にトルコ)のポピュラー音楽を聴くブログ

サブスクで聴けるようになった膨大な各国音源。そして機械翻訳で容易に知ることができるようになったアーティストの背景。個人的にはまっている中東系(トルコ中心)を中心に書き連ねます。ただしトルコ語、アラビア語、ヘブライ語など全くわからないので、誤解は多々あると思いますがご容赦を。

Cem Karaca'nın Apaşlar, Kardaşlar, Moğollar Ve Ferdy Klein'a Teşekkürleriyle

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脚を投げ出してる写真がかっこいい

 アナドル・ロックの雄、Cem Karaca(ジェム・カラジャ)の音楽は、特に彼の全盛期であった70年代にバンドメンバーと作り上げたそれらは、「Cem Karacaというジャンル」としか言いようがないオリジナリティを持っていると思う。もちろんハルクの影響、そしてブリティッシュ・ロックの影響はいろいろなところに感じられるが、その混ぜ方、まとめ方が孤絶していて、他に似たアーティストを思いつかない。

 

 

 彼は第2次世界大戦が終わろうとする1945年に生まれた。Wikipediaではイスタンブール生まれとなっているが、Daniel Spicer, The Turkish Psychedelic Explosion: Anadolu Psych 1965-1980(雑誌Wireの連載をまとめたもの。わたしはKindleで読んでるのだけど、2019年2月現在は残念ながらKindle版は販売されていない※楽天Koboに売ってました!)

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ではトルコ最南のアンタキヤ生まれとなっていて、たぶんどちらも合っているのだと思うが、この出生地は彼の血統をよく示している。

 すなわち、彼の父親はアゼルバイジャン系のトルコ人ムスリム)で、母親はイラン系アルメニア人(クリスチャン)であり、CDライナーによると当時でもこの組み合わせはレアケースであったそうだ。父親は俳優であり、母親Toto Karacaはオペラ歌手として著名であったという。

 アンタキヤはシリア国境近くのハタイ県に位置し、元々古シリアであって(地図でも見てもハタイ県はアナトリアからシリアの方に飛び出した形状となっている)、第一次大戦後の敗戦処理の一環として一時(〜1938)フランス領シリアとされていた時期が存在した。このことは、トルコ東部における第一次大戦時のアルメニア人大虐殺にもかかわらず、アンタキヤにおいてアルメニア人コミュニティが存続し、ディアスポラがあまり起こらなかった理由であると考えられる。

 

 父親は彼をアメリカンスクールに行かせて外交官にしたかったらしいが(Spicerの本によると)、彼はロックンロール街道を突っ走り、60年代初期からステージに上がり、そして67年以降徐々に欧米のアート・ロックの影響を受け始める。

 そして彼のバンドであった(バックバンドと言うよりは対等な関係)Apaşlar、Kardaşlar、そしてインストグループとして、あるいはErsenやBarış Mançoと既にタイアップして名を馳せていたアナドル・ロックの嚆矢Moğollarとのシングルをまとめたのがこのアルバムである。この前にKardaşlarとの曲をまとめたアルバムがリリースされているのだが、こちらはサブスクにアップされていない(ただしスペインのGuerssenレーベルから近年CDが再発されていて、日本でも入手可能)。

 Discogsでクレジットを見ていただくとわかるように、エレクトリファイされたサズやIgligなどの民俗楽器でハルクのトラッドを演奏しているのだが、ところどころ大胆なアレンジが施され、Led Zeppelin(たぶんアティチュードの部分で大いなる影響を受けているはず)で言うとⅠやⅡにあたると言えるだろう。後の曲に比べるとキーボードがあまり入っていない分、音と音の間にゆとりがあって、その空気感がこのアルバムの魅力だと思う。